埼玉県川越市 川越まつり2017-1

10月14日(土)

今年は日曜日に東京で用があり、前日入りしないといけなかったので、土曜日に行われた川越まつりに行ってきました。

関東地方の土地勘がなくピンときてなかったんですが、東京からまあまあ遠いんですね。(^^;; とはいえ片道1時間半くらいのもんですけど。


◎川越まつりをwiki(抜粋)

川越氷川祭は、毎年10月に行われる埼玉県川越市の川越氷川神社の祭礼で、一般には川越まつりと呼ばれている。


常陸國總社宮大祭・佐原の大祭と並び関東三大祭りの一つと称されることが多く2日間で80万人以上の人出を数える。

360年以上にわたり連綿と続いてきた祭事で、2005年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。また2016年にはユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」の1つとして登録された。


◇歴史

1638年、川越大火(川越城下の大半が焼き尽くされる)

1948年、川越藩主松平信綱が町の再興がなされる中で、2基の神輿・獅子頭・太鼓を寄進、川越総鎮守である氷川神社の神事として神輿渡御が行われるようになった。

1651年、祭礼となる。

1698年、踊り屋台が登場

1842年、商人町と職人町であった城下の十ヶ町に人形山車が登場

 

江戸時代から「小江戸」と呼ばれた川越では祭りも江戸神田明神の神田祭など天下祭の影響を強く受けている。幕府の影響を色濃く受けた天下祭が東京では明治維新以後に新政府によって解体されたり、電線の敷設によって曳行ができなくなったことで山車から神輿中心の祭りに変貌した現在、江戸天下祭の伝統が今日でも最も生きている祭りの1つである。

第二次世界大戦後、旧十ヶ町以外の旧武家屋敷地域の町会や駅周辺の新興町会が参加して山車が増え続け、現在でも新造中の山車や計画がある。

山車の中には江戸時代末期製作のものもあり、大正以前に建造された10基の山車が埼玉県の有形民俗文化財に、1基の山車が川越市指定有形民俗文化財に指定されている。

 

◇特徴

神田祭や三社祭などに見られる神輿の祭りではなく、関東地方では珍しい山車を中心とした祭り。 山車の曳き回しと山車の舞台上での囃子の演奏がされる。また、山車の曳き回しにおいては、他の山車祭に見られるような順路が決まった「巡行」ではないため、一部を除き山車行列的なものはなく、各町内が独自に山車の曳き回しを行っている。

川越市が公表する「川越まつり参加の山車」は29基存在し、他にも市街地への距離などの事情により中心地へ曳き入れないながらも、併催行事として祭に合わせて山車や屋台を曳き回す町内もある。それぞれの山車は、毎年15本前後がまつりの際に曳き回される。山車を出さない年は会所のみ設営する。

町内の象徴であり神が天降る座である山車のほとんどは三層、人形上下、枠上下型の江戸型(江戸系川越型)で、車輪は四ツ車と三ツ車である。二重鉾の最上部には山車ごとに異なったご神体である人形を飾りつけ、人形の名前が山車の名前にもなって呼ばれることが多い。人形は神話、民話、能、雅楽、徳川幕府と川越藩にちなんだ人物などから題材が選ばれている。

祭の発展とともに多くの山車が廻り舞台を採用するようになり、山車の舞台から上が360度回転させることができるのも特徴である。

囃子は神田など江戸からの囃子(江戸囃子)の流れを汲み、山車ごとに乗り込む囃子連が決まっている。

 

◇みどころ

山車と山車が道ですれ違うときに、山車と山車を向かい合わせることを「曳っかわせ」という。時に交差点で何基もの山車で行われることもあり、夜の「曳っかわせ」は川越まつりで一番盛り上がる場面となっている。

蔵造りの町並みや時の鐘がある一番街商店街を山車が通る姿は、一昔前を思わせる光景である。

川越まつりの山車曳行は町方(主に曳き手)、職方(鳶や大工)、囃子方で構成されており、町方の“ソーレ”という掛け声や職方の勇壮な姿も隠れた見所である。

各町ごとに違う着物を尻っぱしょりした姿(職方は半被)の町方や手古舞(子どもや女性)などの姿も見所のひとつである。



虎と金魚と祭りと実り ~第2章~

兵庫県丹波篠山市の曳山祭りを中心に、祭りに関することを投稿します。 木工模型も少しずつ…。

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