天空の城 八上城


天空の城といえば、先日訪れた竹田城が有名ですね。

あの存在感はやっぱりすごいです。

しかし、天空の城を仮に雲の上に浮かぶ城と定義するなら、他にもたくさんあります。

特に霧の深い篠山地方の山城ならほとんど該当します。(^_^;)

その中でも最も有力で有名な山城が、写真の八上城(やかみじょう)です。

写真は厳密にいえば八上城のある高城山ですが。

今朝、出勤時に撮影しました。 もっと美しいポイントがあったんですが、車が停められなくて…。

 

◎八上城をwiki&加筆

八上城跡は、高城山の八上城を本城として、奥谷の城下を挟んで法光寺山の法光寺城を支城とする東西3㎞に及ぶ大規模な中世山城である。 山全体が要塞化しており、東西に長く、北西はもっとも険しく、南は細い尾根が続いており、攻めにくく守りやすい。

波多野稙通が応仁の乱にて戦功をあげて永正年間に多紀郡郡代に就任した際、多紀郡多冶山に築城して居城としたことから八上城の歴史が始まる。

15世紀後半に高城山南西尾根先端部に奥谷城を築き、城下町を奥谷に置く。

16世紀前半には高城山頂に八上城を本城として築く。

1557年に一度松永久秀によって城を奪われたものの、1566年に波多野晴通、秀治が奪還。 支城の法光寺城は、抗争に先立ち八上城および城下の防衛力増強の目的で築城されたものである。 その後、城下は中心部を奥谷から街道沿いにあった八上に移した。

1575年に織田信長の命を受けた明智光秀による攻略が開始され、毛利氏や赤井氏の支援があったものの兵糧攻めにより1579年に落城。波多野氏は滅亡した。

この合戦で、明智光秀の母(伯母とも)が磔になった城としても知られる(後世の創作という説もある)。

1608年入封した松平康重が篠山城を築城したため八上城は廃城となった。 八上城は古風な中世式の遺構が残る典型的な山城である。

2005年3月2日、兵庫県下では41件目の国の史跡に指定されたが、その指定理由として、中世の山城であるにも関わらず、数多くの遺構が往時のままに残っている点が評価された。

戦国時代の典型的山城である八上城と、近世城郭で典型的な平城である篠山城(ともに国の史跡)とが、ともに篠山市内の近い場所にあるという点も特筆される。

虎と金魚と祭りと実り ~第2章~

兵庫県丹波篠山市の曳山祭りを中心に、祭りに関することを投稿します。 木工模型も少しずつ…。

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